福岡県における企業の99.8%が中小企業であり、そのうち83.2%は従業員数20人以下の小規模事業者です(出典:中小企業の動向及び令和5年度中小企業振興施策の実施状況」【福岡県】))。
この割合は全国平均と同程度ではあるものの、地域経済を支える事業者の大半が小規模であることに変わりはありません。
【参考:中小企業基本法】
5項 この法律において「小規模企業者」とは、おおむね常時使用する従業員の数が二十人(商業又はサービス業に属する事業を主たる事業として営む者については、五人)以下の事業者をいう。
こうした環境における中小企業にとって近年喫緊の課題となっているのが、DXへの対応と人材不足です。
報告書によれば、県内企業では「DXに必要なスキルやノウハウの不足」「対応できる人材の確保」「取り組む時間がない」といった声が多く、特に専門的な技術人材が不足しているとする回答が30.7%にのぼっています。
このような背景から、福岡県内の中小企業でも、IT・生成AI分野に関する業務を外部に委託(アウトソーシング)するニーズは今後さらに高まると予測されます。
特に、フリーランスのエンジニアやデザイナーと連携する機会が増える中小企業側にも新たな契約ルールへの理解と対応が求められています。
主なフリーランストラブルは「業務管理の曖昧さ」と「契約への反映不足」から生じている
厚生労働省の支援を受け、第二東京弁護士会が設置している相談窓口「フリーランストラブル110番」 には、さまざまな取引上のトラブルが寄せられています。
相談の中で最も多いのは、報酬の未払いや支払遅延に関するトラブルです。
その他にも、契約解除・契約更新をめぐる認識の相違や、発注者による一方的な損害賠償請求なども報告されています。
こうしたトラブルの背景には、大きく分けて2つの課題が存在します:
- 業務の内容や条件に関する当事者間の認識のズレ
- 契約書に落とし込むべき内容の抜けや曖昧な記載
たとえば、以下のようなケースが典型です:
- 報酬設計の漏れ:著作権の譲渡に伴う対価や実費負担、業務に付随する追加費用の扱いを契約で明記していない
- 業務範囲の認識相違:「ウェブ制作」とだけ記載したことで、発注者から想定以上の作業や修正対応を求められる
特にIT・Web制作分野では、
表面上はシンプルに見える案件でも、開発環境の整備・ドメイン設定・外部連携の調整など、プロジェクトに必要な項目は多岐にわたります。
さらに、発注者側にWebやシステムに関する知見が乏しいことも多く、業務範囲に関する齟齬が起きやすい土壌があります。
一方、フリーランス側にも課題があり、個人では要件定義やプロジェクトマネジメントの体制構築が難しいことから、業務委託契約書における業務内容の記載が抽象的・簡略的になりやすい傾向にあります。
特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(通称:フリーランス法)によるトラブル予防方法
特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律は2024年11月1日に施行された法律で、取引の適正化と就業環境の整備を目的として制定され、公正取引委員会や中小企業庁が取引の適正化を、厚生労働省が就業環境の整備を管轄しています。ここでのポイントは、フリーランス法は、フリーランスを保護するための法令ではなく、適正な取引を図るための法律であるという点です。
フリーランス法の適用を受ける「特定受託事業者(通称:フリーランス)」は次のように定義されています(フリーランス法2条1項)
- (雇用保険に加入する)従業員を使用しない個人
- 代表者の他の役員がおらず従業員を使用しない法人
イメージとしては、いわゆる個人事業主の場合や、一人法人として事業を行っている個人が該当します。
フリーランスの判定においては、委託の時点で判断を行うことになりますが、発注者としてはフリーランス該当の可能性がある発注先に対しては、厳密な該当性を検証するよりも「フリーランス法適用前提での運用を行う」方法がより推奨されます。これは、フリーランスへの該当性については時間経過に伴い流動的であり、また、受託者もその判定を確実に行えるものとは限らないため、確認コストよりも常に本法に適した形で取引を行う方がより運用としては負担が軽いためです。
なお、フリーランス法においては、下請法のような資本金による区分は設けられていません。また、本法にいう「業務委託」は2条3項2号において「事業者がその事業のために他の事業者に役務の提供を委託すること(他の事業者をして自らに役務の提供をさせることを含む。)。」とされているため、広く役務提供型の取引に適用されることとなります。株式会社の役員等については、他の事業者から外れるため本法は適用されず、同様に売買契約なども業務委託ではないので適用はありません。例として、既製品をフリーランスより購入する場合は本法は適用外ですが、既製品に指定した加工等を施してもらったうえ、購入する場合は本法の適用対象となります。
このように広く適用されるフリーランス法ですが、仕組みとしては、「発注時における取引条件の明確化と条件に従った適正な取引の実行という枠組み」が採用されています。背景としては、契約書を用いない口頭での契約関係が多くみられることから、これを言語化するようにし、取引の適正化につなげようとした狙いがあります。
フリーランスに該当する事業者においては本法のフレームワークにおいて、どのような項目を明示的に示さなければならないのか、発注事業者においては、どのような点について契約条件を明記しなければならないのかそれぞれ意識することで、取引関係の不透明性から生じるリスク分配がなされるようになっています。
また、翻っていうと、本法で挙げられている項目は役務提供型の契約において業務遂行時におけるトラブルを予防することが期待できる項目とも言えます。そのため、これら項目についてはフリーランス法の適用有無にかかわらず、広く役務提供型取引に置いては設定すべき項目として押さえておくとよいでしょう。
【IT発注者向け】フリーランス法3条「業務内容の明示義務」とは?契約トラブルを防ぐ記載ポイント
フリーランス法3条は、発注者がフリーランスに業務委託する際に、一定の項目を「書面または電子的手段」で明示する義務を定めています。これは、契約トラブルを未然に防ぐための重要なルールであり、違反すると勧告(法8条)・命令・公表(法9条)といった行政措置の対象となり得ます。
明示が必要な9つの項目(3条明示義務)
- 業務委託事業者および特定受託事業者の商号、氏名、または名称、または事業者別に付された番号、記号その他の符号であって業務委託事業者および特定受託事業者を識別できるもの
- 業務委託をした日
- 特定受託事業者の給付(提供される役務)の内容
- 特定受託事業者の給付を受領し、または役務の提供を受ける期日等
- 特定受託事業者の給付を受領し、または役務の提供を受ける場所
- 特定受託事業者の給付の内容について検査をする場合は、検査完了期日
- 報酬の額
- 支払期日
- 現金以外の方法で報酬を支払う場合の明示事項
「業務内容の明示」がトラブル予防の鍵
この中で特に重要なのが、「給付される役務の内容」つまり業務内容の明示です。
業務内容の明示は、契約上の成果物の基準や報酬の対価となるため、この部分があいまいである場合や十分な取り決めが設計できていない場合は、業務の判定に支障をきたし、受領拒否や報酬減額などのトラブルに発展します。特に、フリーランス法においては、業務内容が十分に明示されていなかった場合における不利益は、5条により発注者に属することになるため、発注者においては特に注意したい項目となります。
IT発注において業務内容の「具体的明示」が難しい理由は技術的理解と試行実験が必要なため
ウェブアプリや業務支援ツールなど、IT関連業務をフリーランスに委託する場合、発注者側にとって最も大きなハードルの一つが「業務内容の具体的な記述」です。
その背景には、IT開発特有のプロセス構造や、技術進化のスピード、発注者の非エンジニア的立場などが関係しています。
従来、アプリ開発では、発注者と開発者が協議のうえ、要件定義書を作成し、それをWBS(Work Breakdown Structure=作業分解構成図)としてタスク化する「ウォーターフォール型」の進め方が主流でした。WBSによりtodoやスケジュールが明確になり、最終的な成果物のイメージも初期段階で確定できるのが特徴です。イメージとして、工場部品などの設計図のようなものがこれに相当します。
一方、最近の現場では「アジャイル開発」という手法が多く見られます。これは、プロトタイプ(試作品)をまず作り、実際に動かしながらフィードバックを受けつつ、完成形に近づけていくスタイルです。
アジャイルの利点は、発注者の要望を柔軟に反映できる点ですが、仕様が都度変化するため、契約上の業務範囲や最終的な報酬金額が曖昧になりやすいというリスクも孕みます。WBSを初期段階で明示することが難しい場合は、契約書上でも「開発プロセス」や「フェーズごとの方針」そのものを業務内容と見なす設計が必要になります。
実際の発注場面でも、例えば「生成AIを使って社内文書を手軽に検索でき、社内規程に則った助言を返すアプリを作りたい」といった要望があるケースでは、以下のような技術・検証項目が暗黙的に含まれていることになります:
- 採用する生成AIモデルの選定(GPT系・Claude系など)
- 検索対象の文書データ構造(社内文書の種類、量、形式)の検証やクレンジング
- 検索インターフェースとUI設計
- 認証やログ管理などのセキュリティ設計
- 納品後の運用方法やクラウド環境(AWS/Vercel/ローカル構築など)
このように「業務内容の定義」が曖昧なまま契約すると、成果物の定義、費用の妥当性、契約解除の基準など、重要な法的判断軸が揺らぎます。
素材・ライセンスなど、プロセス中に発生する要件にも注意
さらに、アプリ開発では途中から認識されることになる著作物(画像・動画・デザインなど)にも配慮が必要です。
アジャイル開発では、当初想定していなかった要素がプロジェクト中盤に出現し、著作権やライセンスの扱いが不明確になることも少なくありません。
- 画像素材の選定・購入は誰が行い、費用はどちらが負担するのか?
- 採用されなかったデザイン案の権利はどうするか?
- ソースコードに含まれる外部APIやOSSの利用ライセンス条件をどう管理するか?
これらを明示せずに契約を進めると、納品時のトラブルや想定外のコスト発生に繋がりやすくなります。
明示の実務対策:発注前に最低限整理すべきこと
このようなリスクを防ぐためにも、次の2点についてはフリーランスと十分にコミュニケーションを取り、契約書や発注書に明文化しておくことが重要です:
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開発の手法とプロセス
初期要件が明確な場合はWBSを添付。アジャイル型の場合は、開発を段階的に進める旨と、各フェーズの目的・判断基準・報酬計算方法を明記。
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知的財産権と費用負担の整理
成果物の著作権の帰属、採用・不採用素材の扱い、API使用料・クラウド環境構築費など、想定しうる外部コストの所在を明確化。
【フリーランス向け】フリーランスが明示しなければならない項目とポイント
フリーランス法は、フリーランスを保護するための法律ではなく、委託事業者と受託するフリーランス間の取引関係を適正化することを目的とする法律であるため、フリーランスにおいても明示された条件が、契約内容に即しているものであるかどうかを確認するだけではなく、費用負担の項目について明示がなされているか確認する必要があります。
明示がないにもかかわらず、異議を述べず業務に着手するなどした場合、黙示の承諾があったものと認定される場合もあるため注意が必要です。
業務遂行に必要な費用負担については請求可能か確認を
先に挙げた項目の中に含まれる報酬の額について、材料費や交通費、通信費等の業務遂行に要する費用等をフリーランス自身が負担する場合は、当該費用等の金額を含めた総額が把握できるように明示することが必要です。
これは、発注者がフリーランスに支払うべき報酬は、明示した報酬のみで足り、ここに挙げられていない実費等については、報酬とは別途必要である旨記載がなければ、フリーランス側は請求できない恐れが高まるためです。
そのため、開発環境において、API費用や本番テスト、打合せ時の移動などの諸費用について、事前に明らかであるものについては当該項目と金額を報酬とは別に必要な費用として明示し、業務を行う過程で発生する事前予測が難しい費用(交通費など)については、項目や計算方法等を記しておく必要があります。
フリーランス側においても業務内容の明確化に努める
明示事項における業務内容は、リスクとしては発注者側が負う構造になってはいますが、フリーランス側においても、要件定義や開発プロセスの説明を事前に行い、発注時における開発プロセスの認識で発注者に誤解を与えないように心がけるべきです。フリーランス法上は、業務内容が不明確や不十分であったがために発注者側が不利益を被ったとしても、webアプリケーションなどの事業においては、発注者と受託者側との間で情報格差が多く見受けられます。
企業間の開発においては、IT事業者側の説明義務責任が問われる裁判も少なくありませんし、そもそも、アプリケーション開発において受託内容の認識齟齬が生じること自体が望ましくないともいえます。
このようなことから、フリーランス側においても、受託にあたっては、十分に全体像についての共通認識を形成し、開発スケジュールや仕様に変更が生じた場合にどのように対応するかの取り決めには意識を向けておく必要があります。
まとめ|「明示」によって信頼関係と取引の安全性を築く
ここまで見てきたとおり、福岡県の小規模事業者にとって、フリーランスの活用はDX推進と人材不足解消の現実的な選択肢となりつつあります。しかしその一方で、業務委託という関係性には、契約不備や認識のズレによるトラブルリスクが常に伴います。
こうした状況において、フリーランス法に基づく「明示義務」の実践は、単なる法令順守にとどまらず、お互いの期待値を擦り合わせ、円滑で建設的な取引関係を築くための有効な手段です。
特にIT発注においては、アジャイルや生成AIのような変化の早い技術領域であればあるほど、業務内容や役割分担、費用負担などをあらかじめ言語化することの重要性は増しています。
フリーランスに発注する企業は、どこまでを依頼し、どこからが自社の責任かを可視化できる構造をつくることで、発注後の修正・中断・支払い等における混乱を最小限に抑えることができます。
一方、フリーランス側においても、受託する業務の全体像を正確に説明し、変更時の対応ルールを設けておくことが、継続的で信頼ある業務委託につながります。
フリーランス法を単なる法対応にとどめず、「あらかじめ話しておく」「書いておく」ことの価値を、今一度見直してみてはいかがでしょうか。